脳死患者につないだブタの肝臓が3日間機能、ゲノム編集が示した新たな治療の可能性

ゲノム編集を施したブタの肝臓を脳死状態の肝不全患者に体外接続し、3日間にわたって機能させることに米国の研究チームが成功した。人体に長期的に適合するかはまだわからないが、「異種移植」が肝臓移植を待つ人々の選択肢のひとつになることが期待されている。
Collage of an anatomical drawing of a human torso a liver and a pig
Photo-illustration: Jacqui VanLiew; Getty Images

ゲノム編集を施したブタの肝臓を脳死状態の肝不全患者につないだところ、肝臓が72時間にわたって正常に機能したことを、ペンシルベニア大学の外科医らが2024年1月18日に発表した。この実験は、肝不全で重篤な患者の治療にブタの臓器を使う技術の実現における進歩を示している。

この実験を主導した研究者らは、肝臓移植を必要としてドナーを待っている患者の容態を安定させるために、ブタの肝臓を使用する方法を検討している。また、自身の肝臓が回復する可能性がある患者でも、一時的に機能を補う目的でブタの臓器を活用できるかもしれない。「回復の可能性を高める方法があれば、移植手術を受ける必要がなくなるかもしれません」と、ペンシルベニア大学の移植研究所の外科医であるエイブラハム・シャクドは語る。

10,000人以上が肝臓移植を待つ米国

肝臓は体内で最大の臓器であり、重要な機能を多く担っている。例えば、食物を消化するために必要な胆汁をつくり、毒性のあるアンモニアを尿として体外に排出する物質に変換する。血液凝固を調節したり、血糖値を正常に保ったり、不要な物質を除去したり、感染症と戦ったりする役割もある。

しかし、肝臓が機能しなくなることもある。アルコールの乱用やウイルス感染、肥満、薬物の過剰摂取などは、肝不全を引き起こす主な原因だ。

米国では毎年33万人以上が肝不全の治療を必要としている。一部の患者は回復するが、長期的なダメージが蓄積している人は臓器移植が必要になる。そしてほかの臓器と同じように、肝臓のドナーも足りていない。米国では10,000人以上の患者が肝臓の移植を待っている。

そこで、実験的な手術が23年12月に実施された。医師たちは患者を脳死と判断したあとも人工呼吸器で容態を維持し、患者自身の肝臓はそのままにして、体外にある「灌流装置(perfusion machine)」と呼ばれる装置に入れたブタの肝臓とつないだ。患者の股の静脈から血液をとり、管でブタの肝臓に送ってから首の静脈に戻したのだ。

研究者らは患者の家族の同意を得て実験を実施し、3日後に計画的に終了している。実験を終えるまで、ブタの肝臓は胆汁を生成すると同時に血液の酸性度を正常な範囲に維持し、患者の容態は安定していた。「3日を経ても肝臓がかなりいい状態だったことに全員が驚いていました」と、シャクドは語る。

免疫系の拒絶反応を防ぐために

科学者たちは長い間、ドナーによる臓器の提供不足を緩和する方法として、動物の臓器を使用する方法を模索してきた。米国では国が運営する臓器移植の制度に10万3,000人以上が登録しており、毎日17人が臓器を待つ間に亡くなっている。

ブタの臓器は安定的に供給でき、解剖学的に人間の臓器と大きさが近いことからドナーとして検討されてきた。しかし、ブタの臓器は人間の体に対応しているわけではないので、移植後すぐに体の免疫システムによって拒絶されてしまう。

ブタの臓器が患者の体外にあったとしても、患者の血液がブタの肝臓を通過することから拒絶反応が起きるリスクが存在する。血液中の抗体は臓器を異物と認識し、攻撃するかもしれないのだ。

そこで研究者たちは、臓器が人体とより適合するようにブタの遺伝子を改変しようと試みている。ペンシルベニア大学の研究用のブタを育てたバイオテクノロジー企業で、マサチューセッツ州ケンブリッジに拠点を置くeGenesisは、このためのゲノム編集技術を開発している。

eGenesisの科学者はゲノム編集技術「CRISPR」を使用して、ブタに合計69の遺伝子改変を施した。この編集には、人間の免疫システムがブタの臓器をすぐに拒絶することを防ぐ目的でブタの遺伝子を3つ排除することに加え、炎症や免疫、血液凝固に関連する人間の遺伝子を7つ挿入する行為が含まれている。

残りの編集は、理論上は人間に感染する可能性があるブタのゲノム内の固有のウイルスを無効にするものだ。eGenesisは科学誌『Nature』で、同じ編集を施したブタの腎臓がサルを使った実験では2年以上も機能したことを23年10月に報告している。

ゲノム編集なしの臓器は機能しない

体外にあるブタの肝臓で患者の臓器の機能を補助するという考えは、新しいものではない。1960年代から70年代にかけて、肝不全の患者の治療のためにこうした実験が100件以上も実施されている。ただし、この方法は故人から肝臓の移植を受けられるシステムが確立したことで、使用されなくなった。

デューク大学の研究者らは90年代に肝不全の患者を対象に同様の実験を実施している。しかし、この実験では2〜5時間しかブタの肝臓は機能しなかった。「これはあまりうまくいきませんでした」と、eGenesisの最高経営責任者(CEO)であるマイク・カーティスは語る。過去に実施されたゲノム編集を施していないブタの肝臓を用いた実験では腫れが発生し、数時間で血流が止まったのだ。

しかし、ペンシルベニア大学の研究では血流と血圧は安定しており、炎症の兆候もなかった。「わたしたちが手がけた臓器のほうがよりよく機能するかどうか、という点が実験の問いでした。そして実験の結果、その答えは『イエス』だったのです」と、カーティスは語る。

ゲノム編集のうち69のすべてが必要かどうかには、議論の余地がある。00年に公表された研究は、2つだけゲノム編集を施したブタの臓器が、2名の肝不全患者の実験において、人間のドナーからの移植を受けるまでの最大10時間にわたって肝臓の機能を補えたと報告している。追加のゲノム編集は、患者の肝臓の機能をより長く補うことを可能にすると、カーティスは考えている。

長期間にわたって機能するかは未知数

ペンシルベニア大学の研究チームは、さらに3人の脳死患者でこの治療法を試し、洗練させていく見通しだ。またeGenesisは、肝不全の患者にブタの臓器を使用する初期段階の臨床試験の計画について、米食品医薬品局(FDA)と今月話し合う予定だとカーティスは言う。

正式な臨床試験の代わりにeGenesisは、FDAの「人道的使用(コンパッショネート・ユース)」制度を利用することも検討している。これは命の危険がある人にとって実験的な治療法が唯一の選択肢である場合に、その使用を認める制度のことだ。

メリーランド大学の外科医は22年と23年にこの制度を利用して、ゲノム編集を施したブタの心臓を2名の患者に移植している。どちらも心不全に苦しんでいたが、人間の臓器を使用した従来の移植手術には適していなかったからだ。

最初の患者であるデイヴィッド・ベネットは術後2カ月間にわたって生存し、22年3月に亡くなった。2人目の患者であるローレンス・フォーセットは移植後6週間生存し、23年10月に亡くなっている。

「より長くもつ臓器移植については、多くの複雑な免疫反応を考慮しなければなりません」と、シャクドは語る。「それにはこれまでとは異なる考え方が必要になります」

eGenesisのブタの肝臓はおそらく5日間は機能するだろうが、それ以上はわからないとシャクドは言う。一般的に人間の肝臓の場合は、体外で約9時間しか機能を維持できない。

研究で使用された機械は英国企業のOrganOxが製造したものだ。この機械はFDAが承認しているもので、肝臓の機能を維持できる時間を数時間ほど延ばせることが証明されている。とはいえ、患者とブタの肝臓とをつないだ状態でどれだけ肝臓の機能を維持できるかはわかっていない。

ゲノム編集と灌流装置を組み合わせた手法が、生きている患者の治療に役立つかどうかは慎重に見極める必要があると、テキサス大学サウスウェスタン医療センターの外科教授であるパーシア・ヴァゲフィは言う。ヴァゲフィはペンシルベニア大学の研究には関与していない。

「臓器不足に対処するためにイノベーションを推進する動きがあります」と、ヴァゲフィは語る。「しかし、より多くの研究が必要であるという事実を認識する必要があるでしょう」

WIRED US/Translation by Nozomi Okuma)

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